末廣の歴史
1.創業
江戸末期である嘉永3年(1850年)、会津藩の御用酒蔵である新城家の二男包裕(かねひろ)は本家から独立し、初代猪之吉として酒造りを始めた。ペリーが浦賀に現れる3年前のことである。
安政5年(1858年)初代猪之吉の他界に伴い、初代の長女に婿入りした遠藤包胤(かねたね)が二代目となったが、時は幕末。戊辰戦争により嘉永蔵は消失してしまう。明治2年(1869年)何とか酒造りは再開できたものの、近代化以降酒の販売が厳しく統制されていたため、同時期に水油と漆器の製造も始めた。こうして事業拡大の礎を築いた二代目猪之吉だったが明治6年(1873年)他界し、長男の正脩が三代目を襲名する。